カナダWWOOFの体験談。減っていくパワーゲージを、農場3軒で取り戻した1ヶ月|費用750ドル・持ち物リスト

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濃紺の背景にゴールドの装飾と白の明朝体で『パワーゲージが、減っていた。だから、1ヶ月農場に住んだ。』と書かれたテキスト画像

朝5時半。家の外に出ると、農場一面に濃い霧がかかっていました。生い茂った草には朝露。聞こえるのは、早起きの鳥たちの声だけ。

牛たちが日中を過ごす広い牧草地。その奥から、太陽がゆっくり登ってくる。それを、ひとりで眺める。

2018年の9月、僕はカナダの農場にいました。

こんにちは、カナダ在住12年、タクトです。

この記事は、僕がWWOOFで過ごした1ヶ月の記録です。農家に住み込んで、働く代わりに食事と寝る場所を提供してもらう仕組みですね。

WWOOFを調べていると、たぶんこの2つが気になるはずです。

「実際、どんな1日を過ごすんだろう。きつくないのかな」
「何を持っていけばいい? お金はいくらかかるんだろう」

この記事では、僕が実際に回った農場3軒での生活、1ヶ月にかかった費用の全内訳、そして持っていって正解だったもの・後悔したものを、盛らずに書きます。

先に結論だけ。1ヶ月で使ったお金は、約750ドル。当時払っていた家賃の、ちょうど1ヶ月分でした。

目次

なぜ都会疲れの僕がWWOOFに飛び込んだか

2018年、カナダに来て4年目。学校を卒業して、さて仕事はどうしようか、と考えている時期でした。

正直に書くと、学校はしんどかった。大人になってから毎日通う学校というのは、子どもの頃のそれとはまるで別物です。朝から夕方、日によっては夜まで、決められた場所に、決められた時間だけいる。神経質な性格の僕には、その自由のなさがずっとこたえていました。子どもの頃はよくあれを当たり前にやれていたな、と本気で思ったくらいです。

そして仕事も、僕にとっては同じでした。

日本にいた頃、いくつか仕事を経験しましたが、どれも長続きしませんでした。体を痛めたり、気持ちが持たなかったり。カナダに来てからも少しだけ働いて、やっぱりガタが来た。だから「働く」ということに、いいイメージがありませんでした。

もう少し正確に書くと、僕が想像できなかったのは、閉ざされた空間で働けている自分の姿です。

不思議なもので、自然のなかでのびのびと体を動かして働くほうは、自分に向いているんじゃないかという想像ができていました。だからWWOOFは、ちょうどよく見えたんです。

あくまでボランティアなので、オフィスやレストランで働くときのようにキチキチしていない(ゆとりをもって働かせてくれるところを選べば、の話ですが)。働くということそのものに体を慣らしていく、免疫をつける。そういう入り口として、ちょうどいいんじゃないかと思いました。

もうひとつ、当時の僕にはっきり足りていないものがありました。自然です。

僕は田舎で生まれて、田舎で育ちました。子どもの頃から自然が好きで、それが当たり前にそばにある生活をしてきた。ところが当時住んでいたのは都会です。悪い街ではありません。でも、自分の中の気力の残量——ゲームでいうパワーゲージのようなもの——が、日に日に減っていくのを感じていました。

自然を身近に感じることは、自分にとって想像以上に大切だったらしい。それが十分に満たされていないという事実だけが、静かに積み上がっていく。

そんなときに、検索の途中でWWOOFという仕組みを知りました。何の記事で読んだのかは、正直もう覚えていません。ただ、内容を読んだ瞬間の感覚は覚えています。

農家に住み込んで、働く代わりに食事と寝る場所をもらう。家賃はかからない。食費も浮く。カナダの田舎に、住める。

迷いも不安も、ほとんどありませんでした。あったのは、冒険に出る前のようなワクワクだけです。英語も、体力も、知らない家に泊まることも、心配しなかった。カナダの田舎は未経験で、どんな環境が待っているのか分からない。その分からなさが、そのまま楽しみでした。

お金の面でも好都合でした。家賃を払わずに済んで、食費も浮く。登録料と移動費を足しても、それまでの家賃と比べたらプラスにしかならない。環境がガラッと変わるぶん、生活もリセットできる。

家族や周りの反応も、前向きなものでした。「へー、そういうのがあるんだね! いいじゃん、きっとタクトに合ってるよ。やってみればいいよ!」。背中を押してもらった感じです。

応募から受け入れまで、実際の流れ

やったことは、いたってシンプルでした。

まずWWOOF Canadaのサイトに登録します。2018年当時、僕が払った登録料は50ドルほど。これで受け入れ先の農家の情報が見られるようになります。

金額は、あくまで2018年に僕が払った額です。料金体系は変わっている可能性があるので、最新の情報は公式サイトで確認してください。

そこから、自分で行き先を探します。僕が実際に見ていたのは、この5つでした。

  • 写真の雰囲気。プロフィールに載っている農場の写真を見て、「ここに行って肌で感じたい」と心が躍るかどうか。まずは、行きたいと思えるかどうかでした
  • 自力でたどり着ける場所か。農場によっては、交通機関が行き届いていないところもあります
  • 食事の内容。完全な菜食(ビーガン)などの縛りがあるか。菜食の食事そのものに抵抗はありませんが、こだわりが強すぎる相手だとやりとりが窮屈になりそうだと思ったので、考え方の柔らかい人がいいなと
  • インターネットが使えるか
  • 1日の労働時間。ここはかなり大事だと思います。作業の質がきついところや、朝から晩まで長時間働かせるところもあると聞いていたので

そして最後に、レビュー。実際に滞在した人が書いた感想を読んで、そこにいる人たちの雰囲気、親切そうかどうかを確かめました。

僕が決めた1軒目は、こんな条件でした。広々としたカナダの田舎らしい農場の写真。当時住んでいた街からは、電車とバスを乗り継いで行ける場所。食事は柔軟で、Wi-Fiあり。そしてレビューには、休憩が多めで決して無理をさせられない、自分の時間もたっぷり取れた、みんな親切だった——と書かれていました。

送った応募メッセージは、シンプルで短いものでした。

こんにちは。9月からそちらでの農場体験に興味があります。空いていますか?

返事はその日の晩か、翌日には届いていました。そこから数往復のやりとりです。

空いていますよ。どのくらいの滞在を希望していますか?

とりあえず数週間を考えています。可能であれば、もしかしたら延長するかもしれません。

分かりました。問題ないですよ。◯◯から村までバスが出ているので、当日は◯◯のバス停で降りてくださいね。私が迎えに行きます。お会いできるのを楽しみにしています。

どうもありがとうございます。こちらこそ、今からとても楽しみです。それではよろしくお願いします。

応募してから実際に農場に入るまで、かかったのは2〜3週間ほどでした。

移動は2本立てでした。まず電車で大きな街まで出て、そこで2泊しながら足りないものを買い揃える。そこから北へ、バスで3時間ほど。

指定されたバス停で降りると、まだ誰もいませんでした。よく晴れた日で、あたり一面が緑に覆われた田舎のバス停。都会とはまるで違う空気を味わいながら5分ほど待っていると、おじさんが車で迎えにきてくれました。

ファームでの1日

先に、正直なことを書いておきます。

WWOOFの期間は約1ヶ月でしたが、実際に農場にいたのは15日です。1軒目に5日、2軒目に7日、3軒目に3日。

そして自分で選んだ行き先は、1軒目だけでした。2軒目と3軒目は、1軒目で一緒だった家族に車で連れていってもらった場所です。その経緯と、残りの2週間で何をしていたのかは、この記事の最後に書きます。

1軒目:朝5時半の霧と、地元の直売市場

起床は5時半。外に出るとまだ薄暗くて、農場全体に濃い霧がかかっていたり、草に朝露がついていたりする。日中でも田舎の空気は十分においしいのですが、朝は別格です。

静けさの中で、広い農場の向こう側に登ってくる朝日をひとりで眺める。ずっと都会にいた自分が、いま田舎の自然のなかにぽつんといる。そのことを感じて、頭がスッと澄んで、1日ぶんのやる気が湧いてくるのが分かりました。

6時過ぎにトーストとコーヒー。早い日は7時、のんびりした日は8時ごろから動き始めます。

この農場には、僕のほかにもうひと組、WWOOFで来ている家族が滞在していました。両親と、小さな子どもが2人。家の外にあるトレーラーハウスで寝泊まりしていて、僕は家の地下にある部屋を借りていました。この家族のことは、記事の最後にまた出てきます。

7時開始の日は、農場のおばさんについて地元の直売市場(ファーマーズマーケット)に出品しに行きました。滞在中に2回、別々の場所で同行しています。車で一緒に出向いてテントを立て、売るのは基本おばさん。僕は後ろで見学したり、おばさんが席を外している間に地元のお客さんの接客をしたり。

お昼になると、おばさんが「これで好きなもの買って食べなさい」とお金をくれました。1回目は別の出品者のテントで手作りのパンを、2回目は近くの屋台でホットドッグを買って食べました。午後2〜3時に片付けて撤収です。

帰りの車の中で、おばさんが聞いてきます。「アイスクリームは好き?」。好きだと答えると、わざわざソフトクリームを買ってくれました。途中でホームセンターと食料品店が一緒になったような店に寄ったとき、店先のカゴにボールが山積みで売られているのを見て、こうも言いました。

どれかひとつ、あの子たちのために選んであげて。

農場で待っている、あの家族の子どもたちへのボールです。僕が選んだそれを、おばさんが買っていく。そういう人でした。

土を掘ると、子どもの頃の感覚が戻ってきた

農場で働く日は、おじさんに教わりながら玉ねぎを収穫したり、雑草を抜いたり、土を耕したり。おじさんも「疲れたら休んでいいからね」と言ってくれる人で、無理をさせられたことは一度もありませんでした。

久しぶりの土いじりは、新鮮で、そして懐かしかった。

土を掘っていると、ミミズやら何やらが出てきます。子どもの頃なら手に取って喜んでいたはずのそれに、いつのまにか抵抗を覚えるようになっている自分に気づきました。ところが作業を続けていると、その抵抗がどんどん薄れていく。何も感じなくなっていく。それが、嬉しかった。

太陽に照らされながらしゃがんで、土を掘って、出てきたミミズを手に乗せる。土まみれになった肌と、それをつたう汗。あのなんとも言えない感覚が、ただ懐かしかったです。

やっぱり、自然と直に触れ合うことほど、生きているのを実感できるものはない。

作業を教わっている途中、例の家族の子どもたちが走ってきて「自分たちもやりたい」と言い出したことがありました。おじさんは優しく「こうやるんだよ」と説明してあげて、子どもたちも一緒に掘り始める。ところがおじさんが別の場所に行っている間に、二人はまた何か思いついたらしく、どこかへ遊びに行ってしまいました。

戻ってきたおじさんが「あれ? あの子たちは?」と言うので、「またどっかに行きました」と答えると、こう返ってきました。

まあ、子どもは続かないよね(笑)

自然のなかでのびのびして、次から次へと興味が移って、まさに今を生きている。その姿を見て、僕が大人になるにつれて失っていった何かを思い出した気がしました。

夜になると、おばさんがディナーを作って振る舞ってくれます(もちろん昼もです。みんなで家に入って休憩しました)。大きなテーブルを囲んで、ウサギの肉が入ったシチューなんかを食べる。人生で初めてウサギを食べたのが、この農場です。毎日違う料理が出てきて、どれもおいしかった。

ちなみに僕が着く数日前まで、この農場にはアルパカもいたそうです。別の農場に連れていかれた後でした。アルパカの肉もたまに食べると聞いて、けっこう驚いたのを覚えています。

2軒目:1週間のテント生活

2軒目と3軒目は、カナダ東海岸のノバスコシア州、ケープブレトン島にありました。

2軒目は、1週間まるごとテント泊。着いてみると、農家の夫婦のほかに、僕と同じWWOOFの参加者が4人いました。全員ほぼ同世代です。ケベックから来たカップル、ハリファックス出身の兄ちゃん、そしてオーストラリアのシドニーから来た女性。みんなそれぞれのテントで寝ていました。

作業は2〜3チームに分かれて。一輪車に木材を乗せて運んだり、家畜が逃げないようにロープの柵を張り直したり。ちょうど家の改修中でもあったので、脚立で屋根に上がって少し作業したこともありました。ニワトリたちに餌をやって卵を収穫したり、豚や、ハイランドキャトルという長い毛の牛にも餌をやったり。

このあたりは野生のコヨーテ——イヌ科の動物——が出るらしく、気をつけてねと言われていました。どんなものか見てみたいという妙な好奇心と、単純に出ないでほしいという怖さが、同時にありました。

作業中、ハチに腕を刺されたこともあります。現地でwaspと呼ばれる種類でした。激痛が走って、大きく腫れました。

トイレは外に設置されていて、用を足したら横の木くずをかけておく形。水で流すものではありません。溜まってきたら決まった場所に捨てに行く。そういう1週間でした。

朝は木造の小屋にみんなで集まって、オートミールのおかゆを作って食べる。昼と夜は、家の前の屋外テーブルでみんなで野菜やその他の具材を切って、パスタなんかを作る。食器洗いも協力してやりました。

仕事以外の時間は、みんなで近くの海岸に行ったり、レストランに行ったり。テントの近くの小川沿いに、虫よけの網で囲われた小屋があって、そこで1台のパソコンをみんなで囲んで、暗くなっていく中で映画を観たりもしました。焚き火を囲んで、棒に巻いて焼くパンのようなものを焼いたり。誰かがギターを弾いて、焚き火と月明かりに照らされながら、みんなで話しました。

そして、夜。

一番最後に加わった僕は、場所の関係でみんなから少し離れたところにテントを張っていました。これが正直、ちょっと怖かった。

聞こえるのは、近くを流れる小川のせせらぎと、虫の声。そして木々の葉が風で擦れ合う音だけ。木がそれなりに生い茂っているので、周りはとにかく真っ暗です。空を見上げても、葉の隙間から月明かりが少し差し込む程度。移動するときは貸してもらったランプで足元を照らして歩くのですが、消せば本当に何も見えない。

みんなに good night と言って、それぞれのテントに分かれていく。仲間のテントの明かりがひとつずつ見えなくなっていって、自然の暗闇のなかを、ひとりで歩いていく。あの時間が、妙に怖かったのを覚えています。

ただし、嫌な怖さではありません。非日常で、スリルがあって、鳥肌が立つような怖さです。

朝は、テント前の小道を林の奥へ進んだところに、小さな滝と小川が合流して水浴びのできる場所がありました。そこに早朝バシャンと飛び込んで、汗を流していました。冷たかったです(笑)

同じくらいの年齢の仲間と過ごした1週間はとにかく濃くて、最後に別れるときは、みんなで別れを惜しみました。

3軒目:馬小屋と、山が見える場所

3軒目は一番短くて、3日ほど。大きな馬がいて、馬小屋の掃除をしたり、畑仕事をしたりしました。ごはんはここでもホストが作ってくれて、夜は一緒に来た家族の部屋で、みんなで映画を観たりして過ごしました。

正直、3軒目のことはあまり細かく覚えていません。滞在が短かったのと、そのときすでに「この先どうしようか」と考え始めていて、心のどこかがそわそわしていたからだと思います。ただ、山々がきれいに見渡せる場所だったことは覚えています。

1ヶ月、朝から晩まで英語だった

この1ヶ月、登場人物は全員が英語話者でした。朝から晩まで英語だけ。サバイバルといえばサバイバルです。

そのなかで個人的に嬉しかったのは、小さな子どもたちとコミュニケーションが取れたことでした。

正直に言うと、大人の英語より、小さな子の英語のほうが分からないことが多いです。小さな子はまだ言葉が成長の途中なので、どうしてもぎこちない。これは日本語でも同じで、心当たりがある人もいるんじゃないでしょうか。

それが、毎日英語を使うのが当たり前になっていた当時は、その子が何を言いたいのかを、それまでよりは感じ取れているような感覚がありました。あくまで感覚の話なので、実際にどの程度きちんと理解できていたかは分かりません。それでも、どの子も笑顔で楽しそうに話してくれていた。「日本にいた頃に積み上げた英語の土台があってよかった」と思いました。

大人と話すときは、ひとくちに英語といってもまた勝手が違います。

つまり、こういうことだと思っています。土台がある程度あると、大人だけでなく、聞き取りの難しい小さな子どもとも通じ合える量が増える。そして僕が過ごした1ヶ月のように、大人と子どもが一緒に集まっている場では、子どもと意思疎通ができることが、そのまま親たちとつながることにもなる。

英語はあくまで言語で、コミュニケーションの道具です。年齢を問わず、いろんな人と話せてこそなんだな、と感じました。

ちなみに、この1ヶ月から6年後、僕は「日本にいた頃の方が英語を話せた」と感じることになります。カナダに住んでいれば英語は勝手に伸びる、という話ではまったくないので、そちらもよかったら。

そして、ワーホリや留学の前に英語の準備をいつから始めるべきか——という話は、また別の記事で書く予定です。

持ち物リスト。筆頭は、ブーツ

ここからは実用の話です。あなたが実際に荷造りするときに、そのまま使えるように書きます。

ブーツ:ブランドストーン550

WWOOF中、僕はずっとブランドストーンの550を履いていました。

しかもこれ、買ったばかりで、履き下ろしがこのWWOOFでした。新品を1ヶ月の農場生活に投入したわけです。

忖度なしに書きますが、悪かった点はひとつもありません。一度も後悔する気持ちが浮かびませんでした。

  • 新品なのに、一般的なレザーブーツと比べて足への馴染みが圧倒的に早い
  • レザーブーツのくせによく曲がるし軽いので、一輪車を押して坂道を往復するようなときも足手まといにならない。スニーカーか、履き慣らしたブーツを履いているような感覚でした
  • 横がゴムで伸びるサイドゴアなので、着脱が一瞬。WWOOFでは外と家の中を出たり入ったりする回数が多いので、これがすごく便利でした。ほかのWWOOF仲間がまだ靴と格闘している間に、僕だけ一瞬で外に出られました
  • 水が染みてこない

土を耕す、馬小屋を掃除する、屋根に上がる、一輪車を押す。どの作業も、この1足で何の問題もなくこなせました。

強いて言えば、1軒目でため池のようなプールに入ったときにビーチサンダルを履いたくらい。それ以外の履き替えは必要ありませんでした。

ちなみに僕の足元を見た家族のお父さんとお母さんは、「いいねそのブーツ! 私たちも買いたいなって思ってたんだよね」と話していました。

なぜ僕が靴を1足に絞れたのか。8年かけて検証した結論は、こちらに全部書いています。

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靴下:ダーンタフ

靴下はダーンタフを履いていました。8年履いた本音のレビューはこちらにあります。

  • 薄手の長袖Tシャツ。9月頭の残暑でしたが、虫刺されを避けるために半袖はほぼ使いませんでした。アイスブレーカーというブランドのものを選んだのは、メリノウール(羊毛の一種)なので普通のシャツより臭いが残りにくいから。荷物を減らすには効きます
  • マウンテンパーカー(ユニクロのブロックテックパーカ)とライトダウン(パタゴニア)。場所と時間帯によっては、長袖の上にこれを重ねました
  • Prana Stretch Zion Convertible Pant。当時ダーンタフと同じ店で一緒に買ったものです。伸びるので動きやすく、裾を外せば半ズボンにもなります。虫がいるので半ズボンで過ごす機会は少なかったものの、荷物を減らしたい僕には、1本で2役なのがありがたかった
  • 水着。1軒目のように泳げる場所もあります。僕は半ズボン型のものを1つ持っていきました(ブランドは覚えていません)

タオル

当時はマイクロファイバー(化学繊維)の長いタオルを持っていきました。軽くて速く乾くので、旅の道具としては便利です。

ただし正直に書くと、僕はこれを後に手放しました。肌触りがしっくりこないのと、化学繊維っぽい独特の臭いが気になってきたからです。

今の僕が同じ旅に出るなら、持っていくのはLane LinenのTurkish Beach Towel、39×71インチの大判タオルです。小さく畳めて軽い、十分な吸水性、速く乾く、変な臭いがしない、肌触りもいい——その条件で選んで、今も気に入って使っています。マイクロファイバーで気になった点が、こちらにはありません。

持っていかなくてよかったもの

農作業で使った手袋も、夜道の移動で使った懐中電灯も、基本的にホストが持っていて貸してくれました。持ち物で困ることは、ほとんどありませんでした。

そしてランニングシューズ。僕は走るのが好きなので「走る機会があるかも」と思って買って持っていったのですが、結局、出番はゼロ。出会った人たちとなんだかんだ一緒に過ごしている時間ばかりだったからです。

唯一の後悔:虫除けスプレー

当たり前だと思われるかもしれません。自然のなかに行くなら虫除けは必須、と最初から考えている人のほうが多いはずです。

僕は、やりませんでした。

1軒目の農場は蚊が多くて、シャワーのときにシャツを脱いだら、背中じゅうを刺されていました。長袖を着ているだけでは足りません。

テントについて。2軒目のテントは、たまたま貸してもらえたので自前は不要でした。ただ、場所によってはテント泊になることもあり、数が足りない可能性もあります。事前のやりとりで確認しておくといいと思います。

なお、WWOOFに限らないワーホリ全体の持ち物・服装リストは、また別の記事でまとめる予定です。

行く前に知っておきたかったこと

見出しにしておいてなんですが、正直に言うと、ほとんどありません。

不満らしい不満を感じなかったからです。たまたまたどり着いた2軒目と3軒目についても、運よく「これは…」というものはなし。

強いて言えば、3軒目のホストからは「インターネットの使用は少し控えめにしてほしい」と言われました。ただ、結果的に3日しかいなかったのと、一日中動いていたので、不便はほとんど感じませんでした。

そのうえで、あなたに渡せるものが3つあります。

1. 1ヶ月1. 1ヶ月の費用は、約750ドルでした

費目金額
WWOOF登録料50ドル
電車(当時住んでいた街 → 出発の街)50ドル
出発の街で2泊(物資調達のため)300ドル
バス(出発の街 → 1軒目の農場)30ドル
ガソリン代20ドル
帰りの長距離バス150ドル
外食など150ドル
合計約750ドル

ブランドストーンやダーンタフ、衣類を買ったお金は含んでいません。

そして、当時の僕が払っていた家賃は、月750ドルでした。

家賃1ヶ月分とちょうど同じ額で、この1ヶ月が手に入った。当時はそれが、すごくお得な気分でした。

ただ、正直に書いておきたいことがあります。この内訳は、WWOOFとしてはかなりイレギュラーです。

途中から家族の車に乗せてもらって東へ移動したので、行きと帰りで出発地が違う。だから帰りの長距離バスに150ドルもかかっています。1軒の農場に腰を据えていれば、ここはずっと安く済んだはずです。

そのうえで、あなたに一番役に立つのはたぶんこの一点です。農場にいる間、僕はほとんどお金を使っていません。寝床も食事もホストが用意してくれるので、財布を開く機会がそもそもない。使ったのは、仲間とたまに外食に行ったときくらいでした。

つまりWWOOFの費用は、ほぼ「登録料+行き帰りの移動費」で決まります。

ちなみに、もし僕が最初の1軒だけで過ごして往復していたら、合計はおよそ710ドルだったと思います(登録料50/電車往復100/宿3泊450/バス往復60/外食50)。これは実際に払った額ではなく、あくまで僕の試算です。

2. ホストを選ぶときに見るところ

自分でたどり着ける場所か。行きたい時期が空いているか。インターネットは使えるか。そしてレビューを読んで、ホストは優しそうか、仕事量はちょうどよさそうか。

このあたりを把握したら、あとは行ってみる冒険心があれば、やっていけると思います。

3. WWOOFの醍醐味は、ある程度の行き当たりばったりにある

そもそもカナダでWWOOFをするということは、その時点ですでに海外です。都市で生活していたって、想定外はつきものです。

僕が出会った家族も、テント生活で一緒だった仲間たちも、みんな冒険心にあふれた人たちでした。ああいう人たちに出会うと、仮に多少不満な体験があったとしても、全部ひっくるめて冒険の一部として見られるようになります。自分だけじゃない、みんないろんな経験をしてきたんだな、と分かるので。

テント生活で一緒だったオーストラリアの女性は、途中の駐車場でたまたま見つけた大型トラックの運転手に乗せてもらって、ケープブレトンまで来たと言っていました。もちろん、これを勧めているわけではありません。世の中には危険もあります。ただ、そういう機会が生まれたのも、彼女に冒険心があったからではあるはずです。

WWOOFは、自分がそれまで生きてきた殻を少しだけ破れる機会です。基本的な情報を仕入れたら、あとは飛び込むだけでした。

そして、都会に戻った日

3軒目を離れて街に戻ったときは、「さあ、これから仕事だな」と、一気に現実に引き戻された感覚がありました。田舎の生活を惜しむ、寂しい気持ちもありました。

ただ、バスを降りてスーツケースを引いて歩いているとき、以前と少し景色が違って見えたのを覚えています。

相変わらず人は多い。田舎の自然のなかにいた分、人の波の圧力がどっと押し寄せてくる。それでもそのとき僕は、WWOOFの前にはなかった自信を感じていました。

人と関わることへの自信。そしてその時点ですでにカナダで4年ひとりで生活していましたが、自分はこれからもっと強く、いろんなことを乗り越えていけるんじゃないかという自信です。

1ヶ月という短い期間でした。それでも、たくさんの人との新しい出会いと、たくさんの移動と、最後にやったヒッチハイクを通して、自分の行動で新しい世界が見られた。この先を力強く生きていくための糧を、手に入れたような感じがしました。

そしてこのWWOOFは、ただの農業体験では終わらなかった

さて、最初に預けた話に戻ります。

1ヶ月のうち、農場にいたのは15日。残りの2週間、僕は何をしていたのか。

答えは、あの家族の車で、東へ向かっていました。

一緒に土を掘って、ため池のプールで泳いで、直営市場の帰りに買ったボールで子どもたちと遊んで。そうして5日が過ぎた、家族が農場を発つ前の夜のことです。

僕は、トレーラーに呼ばれました。

中に入ると、狭い室内にはもうベッドが広げられていて、みんな横になったり、完全に寝る前のリラックスした空気でした。そこで、両親から言われます。

私たち、明日出発して東に向かって旅をするんだけど、もしよかったらタクトも一緒に来ない? 子どもたちもすごくよくしてもらって、二人ともタクトといるのが本当に楽しそうだし、私たちももっと一緒にいられたら嬉しいなって。

こじんまりしたトレーラーの中。就寝前の、完全に家族だけの空間。そこにいる僕に、Yes以外の答えは浮かびませんでした。

まだ会って間もないのに、ここまで気に入って受け入れてくれている。自分でも家族の一員だと錯覚してしまうくらい、落ち着く、温かい空間。明日この人たちと別れる心の準備なんて、できているはずがなかった。

「行きたい!」と答えました。

翌朝、お父さんとお母さんが農場のおじさんとおばさんに説明してくれました。急で申し訳ないんだけど、タクトと一緒に旅をしたい、だから今日連れていってもいいかな、と。

返ってきたのは、こんな言葉でした。

それは素敵だね! 大丈夫だよ、心配しないで。素晴らしい旅になることを祈ってるよ。

僕のスーツケースも彼らの荷物と一緒に車に積み込んで、出発しました。

このあと僕たちが東の果てまでどう進んで、行く先々で何があったのか。それは長くなるので、別の記事で書きます。

人生最高の旅、とまでは言いません。

ただ、一時的にでも自分はタフに生きていける、という自信がついた旅としては、僕の人生で一番でした。

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この記事を書いた人

カナダ在住12年・現役語学講師。ブランドストーンとダーンタフを8年。ジャパレスも、トコジラミも、英語の衰えも経験済み。壊れながらでも続ける技術を、使ったものと本音だけで書いています。

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