ワーホリの先の『ジャパレスループ』。抜けた僕が、ビザで引き戻された話|日本人経営と現地の店、決定的な違い

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濃紺の背景にゴールドの装飾と白の明朝体で『ジャパレスか、現地か。違いは、扱われ方だった。』と書かれたテキスト画像

ある日の午後、スマホが震えました。

「Hey タクト! レストランでポジションが1つ空いたんだけど、興味ないかなと思って」

送り主は、数年前まで働いていた現地レストランのオーナー。ブラックすぎるジャパレスを辞めて、打ちひしがれていた時期のことです。短いメッセージを読み終わる前に、涙が込み上げてくるのを感じました。

こんにちは、カナダ在住12年、タクトです。

僕はカナダで、日本人経営のレストラン——いわゆる「ジャパレス」を2軒、そして現地の人たちが営むレストランを1軒、両方経験してきました。

「ジャパレスと現地の店って、実際そんなに違うの?」
「英語に自信がないと、現地の仕事はやっぱり無理?」

この記事では、この2つの疑問に僕の実体験で答えます。同じ「新人」だった僕が、日本人の店では質問しただけで怒鳴られ、外国人だらけの店では初日から仲間として夕食のテーブルに招かれた話。店選びは、時給や条件の話である前に、毎日をどんな気持ちで働くかの話だった、という結論です。

目次

ワーホリの先にある「ジャパレスループ」の正体

カナダに来た日本人の多くが、仕事探しでまず開くのは日本人向けのコミュニティサイトです。僕の場合はe-Mapleでした。求人、部屋探し、物の売り買い——現地の生活情報が日本語でまとまっていて、正直、便利です。

一方、現地の人たちが使うのはKijijiのようなサイト。求人も英語、応募も英語、面接も英語です。

どちらを開くかで、入口が分かれます。

日本語のサイトで見つかる飲食の仕事は、ほとんどがジャパレス。日本語で応募できて、日本語で働けて、しかも「就労ビザサポート可」と書いてある求人が珍しくない。不安なワーホリ初期ほど、この安心感は強烈な引力になります。

そして一度ジャパレスに入ると、職場の言語は日本語。英語は伸びない。英語が伸びないから、現地の求人に踏み出す自信がつかない。次の仕事もまた、日本語のサイトで探す——。

ジャパレスのループです。抜け出す理由も、きっかけも、そこにはありません。

ワーホリの1年で帰るなら、これはループになる前に終わります。怖いのは、カナダに残ろうとしたときです。滞在を延ばそうとするたびにビザの残り時間は減っていき、残り時間が減るほど、「ビザサポート付き」の日本語求人が確実な選択肢になっていく。残りたい人ほど、ループの引力は強くなります。

偉そうに解説していますが、僕はこのループの入口に立ち、一度は外の世界に出て、そして数年後、別の力で引き戻されました。その一部始終を、最初から話します。

1軒目のジャパレスは、1ヶ月で辞めた

渡航して数年目。約1ヶ月の農場生活(WWOOF)を終えた僕は、e-Mapleで見つけたジャパレスのキッチンで働き始めました。

初日から、空気が分かりました。

先輩の日本人スタッフたちは、仲間内ではいつもワイワイ楽しそうに騒いでいる。なのに新人の僕には、話を振ってくることも一切ない。仕事を教わるときだけ、強く乱暴な口調が飛んでくる。ある日、電車の遅延で2分遅れて店に入ると、冷たい目と、しくじった僕をどこか嘲笑うような表情で「はい、遅れましたね」。

決定打は、米の炊き方でした。

他のスタッフに教わった通りにやったところ、日本人のキッチンマネージャーから、それは違うときつく当たられました。今後のためにも理由を知りたくて「こうやる理由は何ですか?」と聞くと、返ってきたのはこの言葉です。

「あなたは、私に言われたことをただ黙ってやるだけ。質問なんていりません。言われたことをただやってください!」

威圧するように睨みつけられ、喧嘩腰で目の前に立ちはだかられました。仕事の質問すら許されない職場で、この先やっていける気はしませんでした。

面白いことに、僕と同時期に入ったもう一人の新人も、口裏を合わせたわけでもないのに、まったく同じ理由で辞める決断をしていました。後日バーで飲みながらそれを知ったときは、「当然だろうな」という気持ちでした。

働いた期間、約1ヶ月。辞めるときに対応してくれた、唯一普通に話のできるマネージャーは良い人でしたし、キッチンにいた現地生まれのスタッフや外国人スタッフは、休憩中に一人でご飯を食べる僕に英語で話しかけてくれる、温かい人たちでした。

つまり、冷たかったのは「日本人の輪」だけだったんです。

このとき僕の中に、ある疑念が生まれました。もしかして、日本人環境そのものが自分に向いていないんじゃないか——。

Kijijiで応募した現地レストランの初日

次の仕事は、Kijijiで探しました。

見つけたのは、地元の小さなレストランの皿洗い(ディッシュウォッシャー)の求人。英語での応募に、怖さはありませんでした。むしろ未知の世界に足を踏み入れる、いい意味のドキドキとワクワク。直前のWWOOFで、朝から晩まで英語だけで現地の人たちと過ごしていたので、そっちがデフォルトになっていたんです。

履歴書を送ると、翌日にはマネージャーから電話。「明日の夕方6時に来られますか?」

翌日、初めて入ったその店は、暗めの店内に暖色の照明、観葉植物とアートがバランスよく置かれた、アットホームな空間でした。キッチンを探して奥に進み、忙しそうに、でも和気あいあいと働く6人ほどのスタッフに挨拶しました。

“Hello, I’m Takuto. Nice to meet you.”

あのときの光景は、今でも忘れません。全員が満面の笑みで、”Hiiii!” と迎えてくれたんです。無理に作った感じが一切ない、自然に溢れ出る笑顔。1軒目で仲間外れを味わった直後の僕は、その第一印象だけで「ここに応募してよかった」と内心叫んでいました。

そして「さて、面接かな」と思う隙もなく、「じゃあこのエプロン使ってね」。

面接、なし。いきなり初勤務でした。

夜8時過ぎ、客足が落ち着くと、スタッフのディナータイム。シェフが作ってくれたカルボナーラを、テーブルをくっつけてみんなで囲みました。座らされたのは、全員と話しやすいソファの真ん中の席。みんなが代わる代わる、僕という新しい仲間に自然に質問してくれる。義理でも気遣いでもなく、心から興味を持ってくれているのが伝わってきました。

閉店後、一人のスタッフが笑顔で「今日は来てくれてありがとう!」と言って帰っていきました。

次の出勤日に知るのですが——その人が、店のオーナーでした。あまりにも自然にみんなに溶け込んでいて、気づかなかったんです。

アクセントも間違いも「存在しない」扱いだった

この店には、忘れられない場面がいくつもあります。その中から、「英語」について象徴的だったものを1つだけ話させてください。

スタッフ十数人が集まったミーティングで、一人ずつ意見を言う流れになりました。この店で英語が母国語じゃないのは僕だけ。全員の視線が集まると、さすがに緊張して、英語はぎこちなくなります。発音にはアクセントがあるし、間違いだってある。

それなのに、みんな、他のスタッフが話していたときとまったく同じ表情で、僕の話を聞いていたんです。特別扱いする優しい表情でもなく、もちろん見下す表情でもない。ただの一人の同僚の意見として、真剣に。

僕にアクセントや間違いがあるという概念が、そもそも彼らの頭に存在していないみたいでした。

実は僕は、1軒目のジャパレスを辞めた後から原因不明の湿疹に悩まされていて、この店には初日から、目の周りに絆創膏を貼って出勤していました。それが数ヶ月続きました。変な目で見られることも、腫れ物のように扱われることもなく、ただそのまま受け入れてくれました。そして事情を知ると、まかないの食材に気を配ってくれたり、オーナーは皿洗いで手が荒れる僕のためだけに丈夫なゴム手袋を買ってくれたりしました。

3ヶ月ほど経った頃、オーナーから「キッチンで働くことに興味ない?」と声がかかり、僕はガルドシェフ——メインシェフのヘルパーとして、前菜やスープ、デザートを任されるようになりました。シェフ経験なんてないのに、僕が作った日替わりスープをそのままお客さんに出させてくれるほど、信用してくれました。

この店で働いた約1年半、英語が「伸びた」実感は、正直ありません。ただそれは悪い意味ではなく、毎日英語で話すのがデフォルトになり、英語を話すことに特別感がなくなっていた、ということです。

コロナ、そして残り3ヶ月のビザ。僕はループに「戻った」

その日々は、突然終わりました。コロナです。

街全体のレストランが営業できなくなり、スタッフは全員働けなくなりました。僕もです。仕方なかったとはいえ、あの場所を離れるのは、本当に残念で寂しかった。街も、僕も、しばらく止まりました。

そして再び動き出そうとしたとき、僕の前に立ちはだかったのは英語力ではなく、ビザでした。

残り、約3ヶ月。

現地レストランに戻る選択肢も、頭にはありました。実は以前、「就労ビザのサポートもできなくはないよ」という話がちらっと出たこともあったんです。ただ、こぢんまりした店で前例がほぼない以上、申請してもカナダ側が許可を出してくれるかは不透明。残り3ヶ月の僕に、その賭けをする余裕はありませんでした。

確実にカナダに残るには、「ビザサポートします」と明記された求人が必要です。そしてそういう求人が確実に見つかるのは——日本語の求人サイトなんです。

e-Mapleで見つけた2軒目のジャパレスは、就労ビザサポートの条件が「ビザ残り3ヶ月以上」。残り3ヶ月でも受け入れてくれる店は、そうそうありません。ここしかない、という思いで応募しました。

一度ループの外に出た僕は、英語力とは別の力で、ループに引き戻されました。

昇進はした。昇給はされなかった——英語では dry promotion と呼ぶそうです

2軒目のジャパレスは、最初は悪くありませんでした。無事に就労ビザに切り替わり、社員になり、ある日、総合マネージャーからテーブル越しに言われました。

「副店長になることに興味はありませんか? オーナーと話し合ったんですが、タクトさんが合ってるんじゃないかと。もちろん給料は少し上がるので」

人の上に立つのは苦手です。正直、自信はありませんでした。でも、実力を買われたこと自体は光栄でしたし、給料も上がるなら。「やってみます」と答えました。

結論から言うと、その昇給は、僕が辞める日まで一度も実行されませんでした。

同時期に昇進した店長も同じでした。彼が何度確認しても話は流され、最終的なオーナーの回答は「店の売上が伸びれば、その分給料も上がるから頑張っていこう」。僕は心の中で、これを「昇進詐欺」と呼んでいました。後で調べて知ったのですが、昇進だけさせて昇給しないこの手口、英語圏では dry promotion(ドライ・プロモーション)という名前がつくくらい、ありふれたものだそうです。

一方で仕事は、干上がるどころか溢れ続けました。発注、増え続ける仕込み、アルバイトの面接、業者とのやり取り、新人教育。キッチンで仕込みに追われながら、お客さんが入れば表の持ち場に出て調理し、終われば即キッチンに戻る。その繰り返しです。

そこに、追い打ちが重なります。

オーナーのやり方に限界が来た先輩社員2人が、同時に辞めました。オーナーが事業拡大を進め、実力のあるスタッフたちが次々と引き抜かれていきました。残ったキッチンは、僕と、新人アルバイトばかり。

真夏に、製氷機とウォークイン(業務用の大型冷蔵庫)が壊れました。氷は手作業で作り、冷蔵庫は「少し生ぬるい風が出る部屋」のまま、長く放置されました。飲食店の生命線が真夏に死んでいるのに、経費削減が優先。仕込んだものは傷み、捨てれば仕込み直しで、仕事だけが増えていく。

その状況で、オーナーは一度に働く人数を減らすと宣言しました。「昼は2人、夜も3人いれば回せて当然」と。仕込みが追いつかなければ、キッチンマネージャーである僕の責任になります。

極めつけは、ある朝のことです。仕込みをしていると、オーナーがふらっとキッチンに来て「これ、もっと早くできるでしょ」。そして総合マネージャーにタイマーを持たせ、切れ味のいい自分の包丁で数分だけ作業をやってみせて、こう言いました。

「ほら、この時間でこんだけできる。タクトもこのペースで進めなきゃダメだ」

毎日何時間も続けるから大変なんです。ふらっと来て数分のタイムアタックをするのとは、スタートラインが違いすぎる。心の中でそう叫びましたが、口には出せませんでした。

心が折れた日

その日も、僕はいつも通り仕込みをしていました。

オーナーに備品置き場へ呼ばれ、「ここ汚い。整理がなってない」。数分後、今度はレジ横へ呼ばれ、僕の管轄ですらない段ボールを指差して「これなに? こんなんでいいと思ってんの?」。苛立つと粗探しをして、関係ないことまで雪崩のように攻め立てる。いつものパターンでした。

限界だった僕は、誰もいないキッチンで、オーナーに聞きました。

「僕は副店長として、ちゃんと店のためになってるんですか? どれだけ必死にやってもダメなところしか言われないので」

返ってきた言葉は、こうです。

「何? じゃあ褒めろってこと? タクトよく出来たねーってか? 小学校じゃねーんだから」

そして、辞めていった先輩たちの話になると、オーナーは言い切りました。「俺についてこれないやつは辞めればいいし、何とも思わない」。

その瞬間、僕の中でかろうじて繋がっていた何かが、静かに切れました。必死に店を支えるスタッフを、この人は手駒としか思っていない。薄々分かっていたことを、本人の口からはっきり聞いてしまった。

「僕も辞めます」

そう告げて、約2年働いたその店を後にしました。

誤解のないように言っておくと、この店のスタッフたちは、本当にいい人ばかりでした。限界寸前の僕を、陰でそっと支えてくれた仲間たちがいました(この話は、いつか別の記事で書きます)。

そして当然ですが、世の中のすべてのジャパレスがこうだというわけでも、すべての現地の店が天国だというわけでもありません。あくまで、僕の場合はこうだった、という話です。

数年後に届いた1通のメッセージ

冒頭の場面に戻ります。

2軒目のジャパレスを辞めて数ヶ月。打ちひしがれた状態から、少しずつ自分を取り戻し始めていた頃、あの現地レストランのオーナーから、突然メッセージが届きました。ポジションが1つ空いたんだけど、興味ない?——そして、事情を伝えた僕への返信に、こんな一文がありました。

“I just thought of you before posting!”——求人を出す前に、タクトのこと思い出したんだ。

僕がこの店を離れてから、5年ほど経っていました。

スタッフを手駒のように扱い、辞める人間を「何とも思わない」と言い放つ職場。片や、5年経っても僕を思い出し、声をかけてくれる職場。同じ「レストランの仕事」で、ここまで違うのか。

結局、ビザの制約で戻ることはできませんでした。でも、もし制約がなかったら、迷わず飛びついていたと思います。仕事が欲しいからじゃありません。あの温かい環境を、もう一度感じたいからです。

「いつかまた一緒に働ける日を楽しみにしてる」と返した僕に、オーナーからはハートマークが返ってきました。この関係は、これからも途切れない。そう確信しています。

分岐点は英語力。ただし、それだけじゃなかった

ここまで読んだあなたに、僕の結論を整理して渡します。

ジャパレスと現地の店を分けたもの。それは空気でした。質問ひとつ許されない空気と、アクセントも間違いも、外国人であることさえ、誰も気に留めない空気。どちらの店を選ぶかは、どちらの空気の中で毎日を過ごすかを選ぶことです。

そして、その入口を分けたのは、間違いなく英語でした。僕がKijijiの求人に躊躇なく応募できたのは、渡航前に日本で英語を育てていたからです。皮肉なことに、カナダに12年住んだ今より、日本にいた頃の方が英語を話せたくらいに。

ただし、正直に付け加えます。英語は、ループの外へ出る鍵。でも、ビザは、ループへ引き戻す重力です。英語があった僕でも、残り3ヶ月のビザの前では、日本語求人のビザサポートに頼るしかありませんでした。

だからこそ、順番が大事なんです。渡航してから英語を育てるのでは、ビザの残り時間との競争に負けます。鍵は、渡航前に作っておく。そうすれば、ワーホリの貴重な1年を、最初から現地の環境で使えます。渡航前のオンライン英会話をいつから始めるべきかについては、また別の記事で詳しく書く予定です。

これから行く人へ:ループに入らないための準備

最後に、これからカナダに行くあなたへ。ループに入らないための準備は、この順番です。

  1. 渡航前に、英語を「話す」練習を始めておく(読み書きではなく、話す練習)
  2. 現地に着いても、「住んでいるだけ」で英語漬けになれると思わない。勉強と、現地の人と話す機会づくりを、日本にいた頃と同じ熱量で続ける(僕はこれを怠りました。カナダに12年住んで、日本にいた頃より英語が衰えた話は、別の記事に書いています)
  3. ビザの残り期間は常に把握し、逆算して動く(残りが少ないほど、選択肢は日本語求人に狭まっていきます)

そして、もしあなたが「1年で帰らないかもしれない」と少しでも思っているなら、この準備はワーホリだけで帰る人の倍、真剣にやってください。就労ビザでも、学生ビザからでも、滞在を延ばす道には必ずビザの切り替え点が来ます。そのたびに残り時間のカウントダウンが始まり、残りが減るほど、選択肢は「ビザサポート付き」の日本語求人へ狭まっていく。僕が引き戻されたのは、まさにその瞬間でした。

正直に言うと、僕はできることなら、ジャパレスで働くことはおすすめしません。僕のように運悪くハズレを引く可能性があるからというだけではありません。せっかくカナダまで来て、限りあるワーホリの時間を日本人環境で使うのは、シンプルにもったいないからです。ある程度の英語さえあれば、現地の職場という、日本では絶対にできない体験がそこにあるのに。

それでも、英語もビザも余裕がない状況では、ジャパレスが命綱になるのも事実です。僕自身、2軒目はそれで救われました。だから責めたいのは店ではなく、選択肢がそこしかない状態のほう。ループが怖いのは、足場のつもりが、気づいたら唯一の選択肢になっていることです。

僕は、初日に “Hiiii” と満面の笑みで迎えられたあの景色を、これからカナダに行くあなたにも見てほしい。そのために必要な準備は、飛行機に乗る前から始められます。

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この記事を書いた人

カナダ在住12年・現役語学講師。ブランドストーンとダーンタフを8年。ジャパレスも、トコジラミも、英語の衰えも経験済み。壊れながらでも続ける技術を、使ったものと本音だけで書いています。

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