※僕はオンライン語学プラットフォームPreplyで講師もしています。利害関係は隠さず、その上で本当のことだけを書きます。
「話せるようになりたい」と思いながら、まだ何もしていない。
そういう自覚が少しでもあるなら、この記事は君のためのものです。
僕は今、オンラインで日本語を教えています。教える言語は違いますが、画面の向こうにいるのは「外国語を話せるようになりたい人」。君と同じ側の人間です。
1年半、その人たちを見てきました。続く人がいて、続かない人がいる。そして両者を分けていたものは、英語力でも度胸でもありませんでした。
最後に、僕自身の話も出てきます。
1年半で12人。「伸びた」と言い切れる生徒は、一人もいない
まず、前提を全部下ろします。
僕がプラットフォームに登録したのは2025年の1月。講師歴は1年半です。これまでに教えた生徒は12人ほどで、今も続いているのは5人。
半分以上が辞めています。そして辞めていった生徒は、ほぼ全員が最初の数ヶ月に来た人たちでした。
その頃の僕は、初心者の方も受け入れていました。ただ、まったくの初心者に文法をどう教えるかというのは、会話中心のレッスンとはまったく別の技術です。今の僕には、まだそれがありません。だから現在は中級以上の方に絞っています。できないまま引き受けるのは、その人に対して誠実じゃないと思ったからです。長い目で見て、少しずつできるようになりたいとは思っています。
1年半でひとつ変わったと感じるのは、説明するときの言葉選びです。相手に伝わりやすい言い方が、以前よりスムーズに出てくるようになった。その結果、同じことを説明するのでも、無駄が削ぎ落とされてきた気がします。
変わったのは、たぶんそれくらいです。
レッスンは多くの場合、週に1回か2回。1コマ50分。
つまり僕が関われるのは、週に50分か100分だけ。それだけで言語が伸びるとは思っていません。
そもそも言語力には物差しがありません。体重計に乗れば数字が出るような話じゃない。だから「この生徒は伸びました」と言い切れる根拠が、僕の手元にはないんです。全部、感覚の話になる。
強いて言うなら、僕とレッスンを始めてから目標にしていた試験に合格した生徒が2人います。半年から1年ほどの間に、それぞれ結果を出しました。
ただ、これを自分の手柄にする気は一切ありません。週に1〜2回の会話だけで受かる試験じゃない。彼らがもともと積み上げてきたものが実っただけです。
じゃあ何も分からないのか。
そうでもないんです。成果は測れない。でも、なぜ日本語を勉強しているのかを聞けば、初回のレッスンでも感じるものはあります。
続かなかった人に、共通していたもの
辞めていった生徒たちを思い返すと、大きく2つに分かれます。
ひとつは、日本語を勉強する理由がなかった人。
日本と何らかの関わりはある。でも、日本語ができなくても生活は何も困らない。仕事にも私生活にも支障がない。「なんとなく、やってみようかな」で始まって、「なんとなく」のまま消えていきました。
もうひとつは、余力がなかった人。
私生活のストレスや仕事の消耗が、そのままレッスンに出ていました。欠席が増え、そのうち来なくなる。
「なんとなく」は、画面越しに見える
具体的な話をします。
ある生徒は、自分で予約を入れているはずなのに、レッスン中どこか上の空でした。早く終わらないかな、という空気が伝わってくる。
僕が発音の練習をしようと言えばやってくれる。でも、それだけなんです。
続いている生徒は、こういうとき自分から何回か繰り返します。メモを取る。気になったことがあれば質問が飛んでくる。その生徒の場合、何回繰り返すかまで僕が言わないと止まってしまいました。
飼っている犬が画面に近づいてくると、意識はそっちに持っていかれる。レッスンが終わると「ありがとうございました、See you」とだけ言って、待ってましたと言わんばかりに退出していく。開始時刻に遅れてくることも多くて、たった今外から帰ってきたところ、という日が続きました。
こちらで用意した単語やフレーズをまとめて、レッスン後に共有もしました。でも次のレッスンでは、ほとんど覚えていない。復習した形跡がないんです。
誤解のないように書いておくと、集中しきれない日があるのは当たり前です。僕だって疲れているときはあるし、そういう日でも、できる限り生徒のためになろうと向き合うだけです。
だから僕が見ているのは、集中力の高さではありません。
この50分から何か持って帰ろうとしているかどうか。限られた時間を使い切ろうとする姿勢があるかどうか。そこは、画面越しでも伝わってきます。
お金の話も、少しだけ
ひとつ気づいたことがあります。
僕が使っているプラットフォームは、講師が自分でレッスン料を設定できます。しかも料金は生徒が体験レッスンを予約した時点で決まるので、少しずつ値上げしていくと、生徒ごとに単価がバラバラになる。
辞めていった生徒は、ほぼ全員が僕がまだ料金を低く設定していた時期に来た人たちでした。今も続いている生徒は、一人を除いて、値上げした後に来た人ばかりです。
ただ、これを「安いと続かない」とは書けません。さっき書いたとおり、その時期の僕は初心者も受け入れていたし、講師としても手探りだった。料金と、僕の未熟さと、生徒のレベルが、全部同じ時期に重なっている。原因を一つに絞れる材料じゃないんです。
そのうえで、お金については両方向が働くと思っています。
本気だから、その金額を払うことに迷わない。そして、払ったからこそ無駄にしたくなくなる。
僕自身、大学の頃にTOEICをコンスタントに申し込み続けていました。あの頃は英語に取り憑かれていたので、受験料に迷いはなかった。同時に、払った瞬間に逃げ道が一つ減る感覚もありました。どちらも本当です。
念のため。辞めていった生徒たちを悪く言いたいわけではありません。他の講師に移った人もいるでしょうし、それは向上心があるということで、むしろいいことです。ここに書いているのは、あくまで僕のレッスン中に僕が観察したことだけです。
続いている人に、共通していたもの
1年前後続いている生徒たちを並べてみて、気づいたことがあります。
全員に当てはまる共通点は、ひとつしかありませんでした。
性格もレベルも学び方もバラバラです。ただ全員、日本語を勉強する理由がはっきりしていました。
仕事で日本人の同僚とやり取りをする。日本人のお客さんの質問に答える必要がある。日本に住みたい。理由の中身は違っても、聞けばすぐ出てくる。
そして、傾向としてもうひとつ。理由がはっきりしている人ほど、レッスンの使い方を自分で決めてきます。
ある生徒は「お客さん役をやってもらえますか」とリクエストしてきて、僕が客になりきってロールプレイをしています。別の生徒は「この教科書を使えますか」と持ってきて、今は50分を会話半分、教科書半分で進めている。
なぜこれを重く見るかというと、カナダで出会ってきた何ヶ国語も話す人たちに、同じ性質があったからです。彼らの場合は日常生活の中で、自分から積極的に話しにいっていた。生徒たちの場合はレッスンという場の中の話です。場面はまったく違いますが、待たずに取りに行くという一点は同じでした。
受け身の人は、レッスンを「受ける」。続く人は、レッスンを「使う」。
完璧主義でも、続く
続いている生徒の一人は、間違うことにとても慎重です。本人が「自分は完璧主義なところがある」と話していました。自分が話す日本語は正しくないといけない、という感覚がある。
普通に考えれば、この人は続きにくいタイプです。
それでも続いています。仕事で日本語を使う必要があるから。理由に背中を押されている。
静かに燃えている人もいる
さっき「使い方を自分で決めてくる」と書きましたが、これも全員ではありません。
ある生徒は、おとなしいタイプです。特別なリクエストを受けたことは一度もありません。仕事以外はあまり出歩かないような、落ち着いた人。
でも、日本語がもっと話せるようになって日本で暮らし続けたい、試験のさらに上のレベルに合格したい——人知れず、メラメラと燃えている。そういう熱が伝わってくる生徒です。
この生徒には、忘れられないことがあります。
あるとき、日本での仕事が急に決まって、日本に引っ越すことになりました。そのとき僕は正直、「レッスンは辞めるだろうな」と思ったんです。
日本に住みたいという夢が叶ったわけですから、ここで一区切りだろう、と。
でも彼はこう言いました。
「日本に行ってもレッスンよろしくお願いします」
引っ越した今も、以前と変わらずレッスンは続いています。
このときの僕の予想は、外れました。なぜ外れたのかは、この記事の最後に書きます。
忙しい人ほど、隙間を見つけている
もうひとつ印象に残っているのが、時間の使い方です。
ある生徒は、平日は仕事で、週末も予定が詰まっています。それなのに毎回、最近知った単語を僕に教えてくれるんです。「まずはこれ、次はこれ」と、覚えたてのものを並べてくる。アニメを見ていて出てきた言い回しを、その場で保存しているらしい。
あのスケジュールのどこに、単語を集める時間があるんだろう。毎回そう思わされます。
しかもこの生徒は、覚えたばかりの言葉を会話の中で無理やり使おうとします。少々強引で、意味のよく分からない文になることもある。それでも使ってみる。その精神には、僕のほうが学ばされています。
別の生徒は、単語アプリで暗記を続けていると話していました。
やり方はそれぞれです。共通しているのは、忙しさが理由を止めていないという一点。
なお、続いている生徒の中には、仕事の都合で不定期に日本へ行く人もいます。渡航の1〜2ヶ月前になると予約が入り、帰国すると止まる。久しぶりのレッスンは少しぎこちなくて、しばらくすると戻る。その繰り返しです。伸びているとは言いにくい。ただ、すでにある程度の土台がある人は、断続的でも落ちにくい。何もしないよりは、確実にいい。
「間違いを恐れない」は、続く人の共通点ではなかった
続いている生徒の中には、まったく間違いを恐れない生徒がいます。知っている単語を無理やりつなぎ合わせて、なんとか伝えようとする。実は続いている5人の中で、日本語のレベルは一番下です。それでも一番よくしゃべる。
こんなことがありました。
生徒「これは二鳥一石ですね!」
僕「正しくは一石二鳥ですね。二鳥一石だと、2羽の鳥を一つの石に投げつけてるような……なんだかグロテスクな絵になっちゃうかな」
生徒「あー、そうだ!一石二鳥だ! 私は何を言ってるんだー(笑) 二鳥一石はひどすぎる(笑)」
自分の間違いを自分で笑い飛ばして、次の文をしゃべり始める。躊躇がない。
でも、さっき書いた完璧主義の生徒も、同じように続いています。恐れの大小は、続くかどうかを決めていませんでした。決めていたのは、理由のほうだけです。
じゃあ恐れは何に効いているのか。僕は、到達点だと思っています。
カナダで出会った何ヶ国語も話す人たちは、全員が口を揃えて「とにかくたくさん話した」と言っていました。その話は別の記事に書いています。
彼らを見ていて思ったのは、間違うことが、そもそも心配の対象になっていないということでした。怖いのを我慢しているのではなく、怖いという発想が最初からない。だからあれだけの量を話せる。そして最終的に、あそこまでのレベルに到達している。
そして僕は、恐れの大きさ自体も、理由の強さで変わると思っています。
理由がはっきりしている人ほどモチベーションが高い。モチベーションが高いほど、間違いを気にしている場合じゃなくなる。つまり、間違うことへの抵抗感が小さくなる。この2つは、僕の中では反比例の関係にあります。
ちなみに、知識が増えれば恐れが減るわけでもありません。むしろ逆で、知っている人ほど自分の間違いに気づけるぶん、敏感になることがある。さっきの完璧主義の生徒も、レベルはかなり高い人です。
つまり、続くかどうかも、どこまで行けるかも、元をたどると理由に行き着く。
僕がそう考えるのは、生徒を見たからだけじゃありません。自分がその両方を経験しているからです。
一度、「原因は全部メンタルなんじゃないか」と考えたことがある
日本語を教え始めるより前のことです。
なぜ英語を勉強しても話せるようにならない人が多いんだろう、と考え込んだ時期がありました。そのとき僕が立てた仮説が、これです。
「原因は、結局すべて内面にあるんじゃないか」
勉強量でも才能でもなく、メンタルの問題なんじゃないか。当時はそれで説明がつくと思いました。
その仮説は、半分当たっていました。
教える側に回って分かったのは、メンタルは確かに効いている、ということ。ただし——そのメンタルを決めているものが、さらに手前にあった。
自分の話をします。
日本にいた大学時代、僕は英語に取り憑かれていました。あの頃、間違いなんて一ミリも気にならなかった。それどころか、もっと間違いを見つけて直してほしいと思っていた。直されるたびに前に進んでいる感覚があったから。
それが、カナダに10年住んだ頃には変わっていました。英語を話す直前に、身構えている自分がいる。間違うのがかっこ悪いと思っている自分がいる。
同じ人間の話です。
英語力が落ちたから怖くなった、という単純な話でもないと思っています。理由がなくなって、英語に触れる時間が減って、その結果として落ちた。落ちたことで、怖さが生まれた。日本にいた頃の僕には、その怖さがそもそもありませんでした。
告白。僕は、続かなかった生徒より下にいた
僕自身の話です。
カナダに来て10年目、僕は日本人が経営するレストランで働いていました。1日8時間、スタッフのほとんどが日本人で、ほぼずっと日本語。英語を話すのは、日本語ができない一部のスタッフやお客さんと接するときだけ。
多く見積もっても、1日30分。ゼロじゃない。
でもあれは、シフトが決めた30分です。僕が自分の意思で作った時間じゃない。
仕事が終われば、心身ともに疲れ切っています。頭を使う気力なんて残っていない。家に着いたら日本語の動画を流しながら飯を食って、寝る。休みの日もゴロゴロしているだけ。英語の動画を見ることもありましたが、動画は黙っていても流れていきます。自分から話すのとは、まったく別物です。
ここで、この記事の生徒たちを思い出してください。
僕が「この人は続かないかもしれない」と感じた生徒たちは、それでも週に一度、50分の予約を自分で入れていました。
僕は、その50分を作らなかった。
作れなかったんじゃない。作ろうと思わなかった。
だから、この記事で僕が生徒を採点しているように読めたなら、それは違います。僕は、続かなかった生徒たちより下にいました。
だから「忙しいから」で、君は落ちない
ここまで書いてきて、僕なりに見えている構造があります。
外国語が伸びるかどうかを決めているのは、3つです。
- 理由(なぜ学ぶのか)
- 余力(心と体にどれだけ残量があるか)
- 接触量(結果としてどれだけ触れるか)
そして、こういう関係になっています。
余力があるうちは、理由がなくても現状維持はできる。カナダに来てからの数年、僕がそうでした。積極的にネイティブと話しに行くこともなく、それでも余裕がある分、家で英語の動画を見る時間はあった。日本で作った土台が、それでなんとか持っていた。
理由がある人は、余力が少なくても隙間を見つける。単語を集めてくる生徒がそれです。
両方なくなったとき、落ちる。それが10年目の僕でした。
ここで注意しておきたいのは、余力を削るのは「忙しさ」そのものではないということです。予定が詰まっているほど元気になる人もいます。削るのは、疲れとストレスのほう。同じ忙しさでも、消耗する人としない人がいる。
だから、消耗している君に「甘えるな」と言う気は一切ありません。疲れは本物の障害です。僕はそれで落ちた人間なので、そこは絶対に嘘をつけない。
そのうえで、事実として、続いている生徒たちも暇ではありません。仕事があって、予定が詰まっていて、それでも何かしら続けている。
つまり、疲れていても時間を作る人と、作らない人がいる。分けているのは残り時間の量ではなく、その時間を英語に使わせるだけの理由があるかどうかでした。
間違いへの恐れも同じです。恐れが小さいから続くんじゃない。理由が強いから、恐れが小さくなる。理由さえあれば、完璧主義のままでも続けられる。あの生徒が証明しています。
だから、順番はいつもこうです。理由が先で、あとは全部その下についてくる。
「英語をやる理由」は、英語の中にはない
最後に、一番言いたいことを書きます。
僕が日本にいた頃、英語を勉強していた理由は、英語そのものじゃありませんでした。とにかく海外に住みたかった。それだけです。
正直に言うと、洋画の世界への憧れもありました。将来ハリウッドで映画制作に関わりたい、なんて夢も抱いていた。部屋のコルクボードには、それっぽいポストカードを貼って、TOEICの目標点数を書いた紙も貼っていました。
そして、カナダに来ました。理由を、達成してしまった。
そうしたら、あれだけ焦がれていた映画の世界への憧れが、不思議と消えていったんです。
続いている生徒たちも同じで、理由は日本語の中にはありません。仕事の現場がある。住みたい国がある。日本語はその途中に置いてあるだけです。
逆に、辞めていった生徒たちは、日本語の中に理由を探していたように見えました。上手くなりたい。話せるようになりたい。それは目的というより、感想に近い。
だから君に言いたいのは、これです。
英語をやる理由を、英語の中に探すな。英語の向こう側にある、自分が欲しいもののほうを探せ。
そしてもうひとつ。理由は、手に入れた瞬間に消えることがあります。僕がそうでした。
さっき、日本に引っ越しても辞めなかった生徒の話を書きました。僕の予想が外れた理由は、たぶんこれです。あの人は、日本に住むことをゴールにしていなかった。住み続けたい、もっと上のレベルに行きたいという次の理由が、着く前から用意されていた。
僕には、それがなかった。
大学の頃の僕がTOEICを申し込み続けていたのは、点数が欲しかったというより、申し込むことで「次」が勝手に作られるのがよかったからです。カナダに着いた僕は、それをやめました。
続いている生徒たちが持っているのは、才能でも度胸でもありません。ゴールに着く前に、その先を見ている。
僕はカナダに着いた時点で、その先を見ていませんでした。
君に足りないのも、たぶんそれです。

